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楽譜の話


あっという間に1月も終わり。この調子だと あっという間に今年も終わり、ということになるんだろうな、と。

さて 今日のお題は楽譜です。
約1年半前に本腰入れてでピアノを弾き始めて、それこそあっという間に楽譜が溜まっていった。
スタジオには壁一面の楽譜棚があるが、ほぼバイオリンの楽譜で埋まっており、ピアノの楽譜はたった1段だけだったのが、今は 楽譜棚に入りきらない分が 並べて1メートル以上もある。まあ ピアノの楽譜は分厚いですけどね。
更にオーケストラのスコアやら、歌の楽譜やら、アルゼンチンから持ち込んだタンゴの楽譜やら、これらはサイズがまちまちなので収納が難しい。
楽譜は、一度手にしたら手離すことは無いので溜まる一方なのだ。

バイオリンのレッスンで、たまに私が子供の頃使った楽譜を持ち出すことがある。とにかく2歳で初めて使った楽譜から保存されているので、慎重に触らないと 破れたり崩れたり、生徒さんいわく古文書!それでも古い楽譜が大切なのは、そこに書き込まれた指示や、当時のエディションが重要だったりするからなのだ。

楽譜への書き込みは、実に個人差がある。オーケストラの楽譜に関しては 公共の物なので書き込みにルールがあるが、個人使用の楽譜は人それぞれ。子供時代は主に師事した先生の意向が見てとれるが、ある程度成長してからは 本人が使いやすいように書き込むことになる。
そして、音楽家にとって楽譜は命、と言われるのが、この書き込みなのでしょうね。プロの音楽家でも 自分の楽譜を他人に見せたがらない人が多い。
というか、他人が見ても何のことか全くわからない状態になるまで隙間なく書き込む人もいる。

まあ、曲を仕上げていく行程で最低限必要な情報として、指使い、ペダル、弦楽器なら弓使いなどは書くことになる。あとは印刷されてない、あるいは印刷とは違う強弱やテンポの指示など。
そこから先は人それぞれ。
ある人は コンサートに向けて曲を仕上げるのに色鉛筆一箱使って白い所が無くなるまで書き込み、コンサートが終わると破棄はしないまでも その楽譜はもう使わないと言っていた。次にまた同じ曲を弾く時は新しくまた楽譜を買うのだそうだ。
またある人は、先生の指示や思いついたことを一言一句漏らさず書き留める。メモではなくきちんと文章で書くので、これまた楽譜の余白が無い。
私が子供の頃は、母がレッスンの度に先生の仰ったことを書き留めるための楽譜をもう1冊用意していた。これはウチの母に限らず子供に英才教育を施す親は今もやっていることではないかしら。いや、現代はビデオという物があるか!

さて古文書の私の楽譜、当時の先生の意向がそのまま残されていて興味深い。私は、楽譜への書き込みは常に変更されることを念頭において消しゴムで消せる状態で書くように仕込まれた。しかも成長してから師事した先生は、ほぼ書き込みを許さなかった。頭で覚えなさい!というわけです。一度書いても覚えたら消す、が鉄則だった。なので私の楽譜はほとんど何も書いてないこと多い。

それでも指使いやボウイングは多少書いてある。ある時、アマチュアで私の生徒では無い人が私の許可無く楽譜を書き写したことがあり、私より周りの人が激怒したことがあった。私も楽譜の管理が悪いと怒られた。
楽譜は命より大切に!と教えられ、踏んだり跨いだりなどとんでもない、とは教えられたが、どちらかといえば内容の大切さより精神論が勝っていた気がする。

音楽を演奏する者にとって、暗譜ということが重要な意味を持っている。実際に人前で演奏するときに暗譜で弾くかどうかはともかく、曲を仕上げる行程で、曲を理解するためにもある程度の暗譜は必ず必要になってくる。
いろんな暗譜の仕方があるなか、楽譜そのものを視覚的に記憶することも重要で、そのためにも自分に合った書き込みが大切なのではないかと思う。

私の尊敬する大家の楽譜をたまに覗き見させていただくことがあるが、手擦れて年季の入った楽譜でもほとんど書き込みが無く、恐れ多くも共感を覚えた。
今日も練習しつつ 記憶した部分の書き込みは消そうと思ってます。



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