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ブログ

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あけましておめでとうございます♪
昨年の元日にピアノを弾いたら、紆余曲折あったものの ピアノを弾く日常が定着し、飛躍的にピアノを勉強する環境が整ったので、今年も元日からピアノ弾いている。
過去に練習しなかったこととか、年齢がどうとか、後ろ向きなことは一切排除して、今ピアノが弾けることを感謝して心から楽しんでいる。
しかし、長年バイオリンを弾いて来た人間が今更言うことではないが、演奏には性格が反映される。
バイオリンでは技術でカバー出来たことが、拙いピアノの技量では諸問題をクリアして作品に仕上げるに至らず、性格そのままの演奏を晒すことになる。
私は子供の頃、アメリカ人の先生に Take a time! と毎回言われ、言われ続けた。それが未だにクリア出来ていない自覚がある。
それは演奏だけでなくタンゴの踊りにも現れて espera!(待て) と言われ続けることにもなった。
つまり、私は「待てない」のです!
それを長年、せっかちな性格だと思っていたが、そうではないことが判明した。フラワーエッセンスの勉強で性格判断をしたところ、本来の私はそれほどせっかちではなく、他人に尽くす傾向が強すぎて 常に「早くしなきゃ!」という思いで急ぐ結果、せっかちが定着してしまったらしい。
幼い頃は、たいていの子供が母親から「早くしなさい!」と言われて育つものです。しかしそれを一生引きずることになるとは。

きっかけはともかく、せっかちであることに違いは無い。
待てないだけでなく、何事にも頭から突っ込んで行く傾向にあるし、第一 落ち着きが無いというのが大人として非常に問題である。増してや そんな落ち着きの無い演奏をしていたら、音楽家としての資質を問われることになる。
新しい年を迎え そろそろ落ち着くべきでは、と思うこと自体、遅過ぎやしませんか?(笑)
しかも、落ち着きが無いことには、物事に対しての丁寧さ、繊細な心配り、といったものの欠如が伴うことも忘れてはいけない。
ピアノを弾いていて、あまりにも性格が丸出しになるのを 恐ろしく思った。バイオリンに対する「パワフル、力強い、元気をもらった」などの評価は、決して褒め言葉だけでは無かったのだ、と今更のように噛み締めている。
まずは、ちょっとした所作や言葉遣いから気をつけてみましょうか。
果たして 演奏にはどれだけ変化が見られるだろうか。

今年は 積極的に演奏活動をしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!


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2023年 年末です


今年4本目の投稿となります。
昨年が7本だったので、これはもう 終わってますよね。
しかし、人生の分岐点とも言える今年の締めくくりに、一言書かずにはいられなかった。

2023年、暑い暑い夏が半年近くも居座り、気がついたら年末になっていた今年。誰もがあっという間だった、と言う。
私にとっては、超スピードで駆け抜けたにしても 一生忘れられない年となった。
そして、今年を締めくくる今、最高に充実した幸せな人生となっていることに ただ 感謝しか無い。

1年を振り返ります。
春は恒例の生徒の発表会の日に タンゴの発表会が重なり、何とかなるものだ!と実感。
それも無事終わってさあ次!という5月、右手首を骨折した。
それも、電車内で人に突き飛ばされる という事故!
直ぐに演奏のことが脳裏を駆け巡った。
本当に幸いなことに、手の専門医をご紹介いただき、無事 手術。
骨折は痛いもの、と思い混んでいたが ここまではほぼ痛みは無く、日に日に不自由さが軽減して行くのを嬉しく思っていた。
まあ、利き手が使えない不自由さは、半端なかったですからね。

で、リハビリが始まりました!
あの暑い夏を乗り切れたのは、週2回、午前中いっぱいかかる想像を絶する痛みと闘っていたからだ、
と本気で思っている。
そのリハビリの家での課題が、ピアノを弾くことだった。
バイオリンは比較的早く復帰でき、手術から3週間も経たないうちにステージに立っていたが、今回の骨折に最も適したリハビリがピアノだったとは、運命を感じると言っても過言ではない。

何事によらず、適切な練習を積み重ねると、必ず結果はついて来る。幼稚園、正しくは桐朋学園子供のための音楽教室、で4〜5歳からピアノを習っていた。そのままバイオリンと並行してピアノも続けていたら、というタラレバは は必要無い。
其の後、何度もチャンスはあったのに、きちんとピアノに向き合わなかったのは自分自身。
この度の骨折は、いよいよ残り少なくなって来た私の人生に、ピアノが必要であることを天が示した、ということのようだ。

多い日は4〜5時間、ピアノに向かった。少なくともピアノに触らない日は無くした。
初めのうちは 手が治りたい一新ですよ。
そして、途中から ピアノの練習が面白くて 楽しくて、そうなると自然と弾けるようになって行く!
一言お断りしておきますが、怪我以前の私のピアノ、お話にならないほど下手くそです。そして今も、自己満足の域を出ない成長だと思います。
しかし、得難い師匠に、心から励ましてくれる友に恵まれ、少しは上手くならなくては、彼らにも天にもそれこそ申し訳が立たない。

というわけで、2023年は私がピアノに取り組むべくセットされた年だったと言える。そして、私はこの長い人生の中でずっと、ピアノを弾きたくてたまらなかったのだ!
開けて2024年は、今以上に本気で取り組むピアノ年となるのだろうな。

この一つ前のブログでご紹介した、高齢の美しい恋人(ピアノ)とも、時々デートを重ねています。
そして、もしこのブログがお目に止まったら 何かの折にお知らせください。
これから、ホームページだってもっと活用しないと!ですからね。

お詫び
このホームページから私宛にご連絡いただいた場合、お返事が大変遅くなることがあります。メール到着にとても時間がかかるようです。
ご用件は スタジオの電話(常時留守電)にメッセージを残していただきますと、比較的早くご返信出来ます。
よろしくお願いいたします。



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恋してます[黒ハート]️



相変わらずピアノ弾いてるバイオリニストです。

諸事情があり 自分のスタジオが自由に使えないので、日常の練習はエレピ(電子ピアノ)を使用しているが、やはり生ピアノとはいろいろが違う。
今回もピアノ演奏のチャンスをいただいたので、とにかくアコースティックなピアノ、出来ればグランドで練習したいと思い、ピアノスタジオを予約した。
自分の練習や、時にはレッスンにも使用させていただいているスタジオで、待っていたのが「彼」でした。
何て素敵な佇まい…
ヴィンテージと言われるお年頃のようだが、親の年齢と大して変わらない。恋愛対象としても私にとっては全然問題無い年齢差。しかし 名バイオリニストのクライスラーが活躍していた時代の物、と言われると…
ああもう 自分の歳は考えたくないが…
いやいや、まずは練習です!

私はピアノが専門では無いので どんなピアノを弾いても いつも気後れがする。本番で、その時初めて見て触ったピアノで自分の演奏をしなければならない、というのが一般的なピアノ演奏事情で、常に自分の楽器で演奏しているバイオリニストには これほどキツいことはない!
本番はもとより こうした練習だって超〜緊張する。

バイオリンの伴奏でピアノを演奏する時には バイオリンの調弦という大義名分で 1〜2個の鍵盤を押してみることは出来るのだが、ピアノソロの本番では 最初のタッチがもう曲なのですよ!
なので、練習の時もいきなり曲を弾くことから始める。
ピアノによっては、というか その時の自分の心身の状態によって、なのだろうが 毎回全く違う感じがするのは 私が未熟だから!なのでしょうね。

初対面の彼の前に座って 恐る恐る弾き出した私を 優しく包み込むような柔らかい音色。音を外したり、鳴らなかったり、止まって弾き直したり、ジタバタしてる私を黙って受け止めてくれる(気がする)大人な対応。
そして、とにかく音が綺麗!
どんなピアノでも弾きにくいと思うけど、割とすぐに馴染んだかも。もう少し慣れたら私の表現ができるようになるかも。

1時間はあっという間だった。
帰りに迷わず次の予約を入れた。
私のようなピアノに未熟な者が ヴィンテージを語ることなどおこがましいのは承知しているが、新しいピアノには無い音の深さというか、楽器から発せられるオーラというか、とにかく心揺さぶるものがある。たまたま敬愛する大家のところに2台のヴィンテージピアノが入ったこともあり、その魅力に心奪われていたところだったので、私にもヴィンテージピアノとのご縁が出来て 余計に惹かれたのかもしれない。
そしてこのピアノ、とても元気なのです。状態が良い、と言うのが正しいかも。
まだ2回しかデートしてませんが、これから度々会いに行きそう。
自分のスタジオのピアノが使えないことが、こんなに素敵な出会いに結びつくなんて、何事にも感謝ですね。
それより何より 練習、練習。
初めてのピアノソロ本番、もうすぐです!




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楽譜の話


あっという間に1月も終わり。この調子だと あっという間に今年も終わり、ということになるんだろうな、と。

さて 今日のお題は楽譜です。
約1年半前に本腰入れてでピアノを弾き始めて、それこそあっという間に楽譜が溜まっていった。
スタジオには壁一面の楽譜棚があるが、ほぼバイオリンの楽譜で埋まっており、ピアノの楽譜はたった1段だけだったのが、今は 楽譜棚に入りきらない分が 並べて1メートル以上もある。まあ ピアノの楽譜は分厚いですけどね。
更にオーケストラのスコアやら、歌の楽譜やら、アルゼンチンから持ち込んだタンゴの楽譜やら、これらはサイズがまちまちなので収納が難しい。
楽譜は、一度手にしたら手離すことは無いので溜まる一方なのだ。

バイオリンのレッスンで、たまに私が子供の頃使った楽譜を持ち出すことがある。とにかく2歳で初めて使った楽譜から保存されているので、慎重に触らないと 破れたり崩れたり、生徒さんいわく古文書!それでも古い楽譜が大切なのは、そこに書き込まれた指示や、当時のエディションが重要だったりするからなのだ。

楽譜への書き込みは、実に個人差がある。オーケストラの楽譜に関しては 公共の物なので書き込みにルールがあるが、個人使用の楽譜は人それぞれ。子供時代は主に師事した先生の意向が見てとれるが、ある程度成長してからは 本人が使いやすいように書き込むことになる。
そして、音楽家にとって楽譜は命、と言われるのが、この書き込みなのでしょうね。プロの音楽家でも 自分の楽譜を他人に見せたがらない人が多い。
というか、他人が見ても何のことか全くわからない状態になるまで隙間なく書き込む人もいる。

まあ、曲を仕上げていく行程で最低限必要な情報として、指使い、ペダル、弦楽器なら弓使いなどは書くことになる。あとは印刷されてない、あるいは印刷とは違う強弱やテンポの指示など。
そこから先は人それぞれ。
ある人は コンサートに向けて曲を仕上げるのに色鉛筆一箱使って白い所が無くなるまで書き込み、コンサートが終わると破棄はしないまでも その楽譜はもう使わないと言っていた。次にまた同じ曲を弾く時は新しくまた楽譜を買うのだそうだ。
またある人は、先生の指示や思いついたことを一言一句漏らさず書き留める。メモではなくきちんと文章で書くので、これまた楽譜の余白が無い。
私が子供の頃は、母がレッスンの度に先生の仰ったことを書き留めるための楽譜をもう1冊用意していた。これはウチの母に限らず子供に英才教育を施す親は今もやっていることではないかしら。いや、現代はビデオという物があるか!

さて古文書の私の楽譜、当時の先生の意向がそのまま残されていて興味深い。私は、楽譜への書き込みは常に変更されることを念頭において消しゴムで消せる状態で書くように仕込まれた。しかも成長してから師事した先生は、ほぼ書き込みを許さなかった。頭で覚えなさい!というわけです。一度書いても覚えたら消す、が鉄則だった。なので私の楽譜はほとんど何も書いてないこと多い。

それでも指使いやボウイングは多少書いてある。ある時、アマチュアで私の生徒では無い人が私の許可無く楽譜を書き写したことがあり、私より周りの人が激怒したことがあった。私も楽譜の管理が悪いと怒られた。
楽譜は命より大切に!と教えられ、踏んだり跨いだりなどとんでもない、とは教えられたが、どちらかといえば内容の大切さより精神論が勝っていた気がする。

音楽を演奏する者にとって、暗譜ということが重要な意味を持っている。実際に人前で演奏するときに暗譜で弾くかどうかはともかく、曲を仕上げる行程で、曲を理解するためにもある程度の暗譜は必ず必要になってくる。
いろんな暗譜の仕方があるなか、楽譜そのものを視覚的に記憶することも重要で、そのためにも自分に合った書き込みが大切なのではないかと思う。

私の尊敬する大家の楽譜をたまに覗き見させていただくことがあるが、手擦れて年季の入った楽譜でもほとんど書き込みが無く、恐れ多くも共感を覚えた。
今日も練習しつつ 記憶した部分の書き込みは消そうと思ってます。



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2023年のお正月

あけましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になり 誠に有難うございました。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

今年は静かで穏やかなお正月で、長い音楽家人生でも滅多に弾くことの無い元日に、今年は幸せな気持ちでピアノを弾いた。
私は2歳からずっとヴァイオリンを弾いているが、並行してピアノも弾いていたら 音楽性もかなり変わっていたのではないか、と思う。しかしまた、最近になるまで ちゃんとピアノと向き合うことが無かったからこそ、今 新しい発見にワクワク出来、音楽全体を見る目も変わって ヴァイオリン演奏にも良い刺激となっていることは間違いない。

タンゴも いつの間にか20年という歴史を刻んでしまっている。
今、ピアノもタンゴも もったいないほど素晴らしい先生たちの元で学ぶことが出来ているわけで、これから先 私の「表現」が どのように変わって行くか 改めて気持ちを引き締めて取り組んで行きたい。
今こうしてジャンルに囚われる事なく音楽の中に居られることに 心から感謝したいです。

かなりたくさんの「お飾り」をくぐってきた身としては(歳をとったという意味) いろんなお正月のシーンが脳裏をよぎる。20歳前から料理担当の時期が長かったので、こうして最低限の調理でお正月気分の味わえる時代に感謝ですね。その分、音楽に向き合える幸せを噛み締めている。

皆さまにとっても 音楽を通じて今年が穏やかで心豊かな良い年となりますように!




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師走です

このホームページのブログも、内容を一新しマメに投稿するとか言いながら、また3ヶ月も放置。とうとう年末になってしまった。
書くことが無いのではなく、ありすぎて書けないのですよ。
なんといっても 書くには時間が必要で、その時間が確保出来ないのは 多忙というより 要領が悪いから。生きることに不器用なのは いつになっても変わらない。

今年は 今までに増して超スピードで過ぎてしまった。このまま加速していったら あっという間に終点に到着してしまうのではないか、と 空恐ろしくもなる。
やりたいことも、やるべきことも山のように有り、何にも増して 毎日が楽しくて仕方ないので、もっと味わって過ごしたいと思いつつ、ついつい早食いになってしまうのは 食事と同じかな。

昔、年長の友人が「歳取ったら毎日が楽しくて仕方ない」というのを聞き、そんなふうに生きられたらいいな、と思っていたが、最近は本当に毎日が楽しくて仕方ない。それって 歳取ったということですかね?
私的には、ピアノを弾く日々になったからだと考えている。ピアノ、本当〜に楽しい❣️
ちょうど1年前、尊敬するピアニストに タンゴとクラシックの狭間で身動き取れないでいるところを救われた。「両方やればいいじゃん」という一言です。
私の場合 仕事とか趣味とかに分けられない音楽そのものへの考え方も かなりクリアになった気がする。
俗に言う「プロとアマのちがいは?」について(以前も書いたかもですが)プロは自分が苦しんで聴き手が喜ひ、アマは自分が楽しんで聴き手が苦しむという名解答がある。
確かにプロの練習は どんな分野においても甘くない。しかし その苦しさには結果がついてくるから頑張る気になれるし、私たち音楽家は幼少期から練習が生活に染み込んでいるため、練習そのものを苦しいとか思う感覚が麻痺しているんでしょうね。なので ピアノにしろ タンゴ(踊り)の基礎練にしろ、かなり根性座って向き合えてると思う。
まあ、その割に成果が見えないとしたら… そういう時は年齢のせいにしておきましょうか(笑)

というわけで、今年も退化したことより 進歩、進化したことの方が圧倒的に多かったと自負?自己満?しております。(笑)

では 来年もよろしく❣️

って 締める気になってる…
昨日も今日も、音楽的にとても面白い発見をしたし、演奏にもアレンジにもいろんなヒントが浮かんで来るし、お伝えしたいこともキリなくあるので、今日明日にもブログ書くかも知れないのに!

まあ、今年は人生初の入院、手術やら 3ヶ月にもわたる腰痛など、健康面でもご心配をおかけしましたが、元気でやってます!



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夏の終わりに



暑かった夏も そろそろ終わり となると 名残惜しい気もする。
世の中的にも 以前の生活を取り戻しつつあるようで なかなかそうもいかず、ライブなどの予定が立てにくいまま 季節が変わって行く。けっこう「やっちゃえ!」的なイベントも多いですけどね。

今年は タンゴバイオリンに転向して20年なのだが、節目の今年 初めて踊りの振付けの中でバイオリンを弾かせていただいた。今までは 演奏と踊りと 別の演目で出演させていただくことはあったが、今回はマエストロの素晴らしい演出で、パガニーニの美しい旋律を奏で、かつ舞うことが出来、長年の夢を叶えることが出来た。

ライブも 踊りのステージも終わってからで本当によかったのだが、夏後半は ハンパない腰痛で、かなりの時間を 何も出来ずに費やしてしまった。
多動性云々の私、じっとして 何もしないでいると、身体は生きていても心が死んでしまうのですよ。心身共に健康であることの大切さ、身に染みております。

動けるとなったら、先ずはピアノを弾く!
幼い頃 禁止されていたからと言って、呪縛が解けるの 遅過ぎでしょうが、安心して弾ける今は とにかくピアノが弾きたい。
しかし、弾きたい曲が多過ぎる。
1曲ずつ仕上げていくのでは 間に合わないので、次から次へと課題を増やしては 自分の首を絞めることになるが、まあ、演奏家は自虐的なモノですから、それでいいのかも。
勉強会で大家に指導していただいた曲は、一生の宝なので 大切に練習を続け 必ず仕上げなくては!だし、人前で演奏出来る曲は 1つでも多く持っていたいし。
しかし、練習時間の確保って、みんな苦労してるんでしょうね。
音楽以外のお仕事でも、ジャンル違いの音楽やってても 条件はあまり違わない気がする。私も普段の練習は エレピだしね。

で、写真はなんで金魚かというと、夏休みの終わりに チビたちを連れて金魚すくいに行ったのですよ。私、金魚すくいは かなり得意なので、たくさん持ち帰ったのはいいが、水替えても 酸素入れても 次々 天に召されてしまい…
いろいろ教えていただき、環境を整えて、今は なんとか落ち着いているようです。
夏の名残りの 金魚でした。




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音楽の記憶 「ラフマニノフ


先日、尊敬する音楽家の音楽講座があり、そのテーマが ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」だった。
この曲は、私にとって最も印象深い 大好きな曲で、子供の頃 頻繁にこの曲の18番変奏曲を聞いていた記憶がある。

あまり詳しく書くと歳がバレますが(笑) 私の幼少時代は テレビはまだ一般的ではなくて、情報、娯楽はラジオから得ていた時代だった。両親が音楽番組を聞いていて、毎週 決まった時間に必ず流れてくるテーマ曲は いやでも記憶に残る。このラフマニノフの他に、シューベルトの「楽興の時」(へ短調)も 音楽番組のテーマ曲だったはずで、 ネットで調べてみた。

まず、シューベルトの「楽興の時」で始まる 「音楽の泉」という番組は、私の幼少時代から現在も、日曜日の朝8時(又は10時)にNHKラジオで放送されているらしい。今でもシューベルトで始まるのか、今度 聞いてみたいと思います。

そして、それに続き 毎週日曜日の午前11時、例のラフマニノフが おごそかに流れ「 立体音楽堂」という番組が始まる。
テレビ同様、一般家庭に ステレオのスピーカーが無かった当時、2台のラジオを左右に置き、それぞれを NHKのラジオ第一と第二に合わせて 中央に座って聴くと ステレオに聴こえる、という 今考えると少々マンガチックな仕組みの番組であった。
この番組、1954年から1966年まで 12年間も続いたらしいので、軽々しくマンガチック、なとと侮ってはいけないのかもしれない。

こうして 私は、毎週 毎週、日曜日には 必ずシューベルトとラフマニノフの一節を聴いて育った。
どちらも心に残る曲ではあるが、特に ラフマニノフの あの甘美でロマンティックなメロディは 私の心に強烈な印象を刻みつけた。
音楽講座でも取り上げられたように、この甘美で印象的なメロディは、変奏曲の元になっている パガニーニのカプリスのモチーフの音の並びを ただ逆に配列しただけ、という仕組みになっている。こんなこと思い付くなんて!
天才はすごい!
私は 以前も書いたとおり 自分の練習曲以外のことには 呆れるほど無知だったし、勉強する意欲も無かったので、毎週 クラシック音楽の番組を聴いていたはずなのに テーマ曲しか記憶に無い、というのも もったいない話ですよね。

今、私はアルゼンチンタンゴの演奏を中心にしているが、お客様の中には コンチネンタルタンゴのお好きな方も 少なからずいらして、今後、コンチネンタルタンゴも レパートリーに加えて行こうと 勉強している。
この コンチネンタルタンゴが日本で流行したのも、私の幼少時代。
調べてみたら、何か面白い発見があるかもしれない。

アルゼンチンタンゴと コンチネンタルタンゴの違いについては、また このブログで書いて行きたいと思っています。
ご興味のある方、乞うご期待です!

使わせていただいたイメージ写真ですが、ネットで「無料壁紙」というところから拝借しました。
何か 問題がありましたら ご一報ください。








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改めて音楽と向き合ってみる


さくらんぼの美味しい季節ですが、今年はこの時期から既に猛暑!ベランダでのティータイムは さくらんぼ共々クラフティになりそうで断念。

さて 一人の偉大な音楽家を知り、追っかけを始めたのが 去年の春。その時、人生観が変わった!と言った通り、まず 日常生活が変わった。毎日 ピアノを弾く、自発的に練習する、という 今までは考えたこともなかった、どちらかといえば 逃げて 避けていたことが、こんなにワクワク楽しいことだったなんて!
しかも、偉大なる音楽家は 信じ難く多忙なコンサート活動の中、ピアノを勉強したい人のために、と 勉強会、講習会など 次々と学ぶ機会を与えてくださる。
そんな中で、様々な事情を抱えながらも ピアノを弾くことを愛し、学ぼうとしているたくさんの方たちとも出会った。
私は音楽家ではあるが、ジャンルが違うし、ピアノは 全くついていけないレベル、新参者として そこからも多くを学ばせていただいている。

私の子供時代は 母も 周りの大人たちも、私に バイオリンを弾くこと以外、何一つさせてくれなかった。また 笑い話のような実話ですが、幼稚園から音楽教育専門のクラスに通い、小中時代も 学校より音楽教育が優先された環境にありながら、高校生の時 転校して 外部の音楽好きな友達が出来るまで、ベートーベンが幾つ交響曲を書いたかも 知らなかったのです。
周りが音楽家だらけで、毎日のように オーケストラも聞いて育ちながら、ほぼ 曲のタイトルすら知らなかった。つまり、自分が演奏する曲のこと以外は一切考えるな、という洗脳が されていたわけで、ユースシンフォニーに参加して 一般教育の中で 音楽を勉強している仲間と出会ってから、ようやく音楽的一般常識と 音楽を愛好する気持ちが 少しずつ身に付いていった という、今にして思えば とんでもない教育現場だった。周りもバイオリン演奏ロボット育成に 何を期待していたのか?と呆れるが、私が 余りにも世間知らずで 奥手だったのかもしれない。
その後、紆余曲折あって今日までの間、ずっと一貫していたのは 学びたい!という強い願望。というか 好奇心ですね!

毎日ピアノを弾き始めて 約一年、少しずつレパートリーが増えてきた。バイオリンとは全く違う練習方法や、 いろんなアプローチの仕方を、偉大なる音楽家は あちこちでヒントを出してくる。自分のレッスン時は呼吸も止まるほど緊張し、レッスン聴講も レッスン動画を見るにも 一言も逃すまいと集中し、それが 一つ一つ 宝物になって 溜まっていく幸福感!

演奏家の 音楽との向き合い方は様々で、例えば演奏会が終わったら 一旦、全部忘れてしまう、という人もあれば、偉大なる彼のように レパートリーは 全て頭にも身体にも入っていて、常に最高のクオリティで演奏が出来る状態を保っている、という「神」もいる。
育ってきた音楽環境にもよるのかも、だが、私の場合は 試験で弾いた曲を一切覚えていない。たまたま 同じ曲で試験を受けることが重なり、どれほど練習したか知れないのに!

しかし、今までの全ての体験の中で 無駄は一つも無い、と信じている。回り道したかも、だか、そこにも得難い経験があった。
バイオリンという楽器の特性から、年齢的な限界があることを、私はかなり若い時から見聞きし、自分でも 覚悟していた。
「バイオリンが高価なのは、楽器を売ったお金で老後を過ごすため」という話も 耳タコで聞かされ、事実、ユニオンから退職金をもらい、田舎に隠居していく先輩もいて、バイオリンの演奏を続けるなら 何か方法を講じないと、といのは かなり若い時から考えていた。

というわけで、私は今、アルゼンチンタンゴの世界に身を置いている。バイオリンを弾く、というのは同じでも 全てが違っていて、クラシックとタンゴの違いを語り始めたら 千夜一夜物語になりそうなので、それはまたの機会にしよう。
アルゼンチンタンゴバイオリ二ストとしてデビューして 今年で20年、未だに 自分で納得のいかないことばかりだ。まあ、日本人の私が アルゼンチン人と同じパフォーマンスが出来る訳もなく、私なりのタンゴを模索し 追求していくのみ。
何時も 好奇心と 探究心が私の背中を押してくれる。

もう クラシック音楽の世界に戻ることは無い、と 勝手に決めていたのは、タンゴ界に入ってからずっと「クラシック臭い演奏」と言われ続けたこともあり、自分の中身から変えないと タンゴは出来ない、と 思い込んで、右利きが箸を左で持つような 頑な努力を続けていたかもしれない。
それが クラシック界の頂点に立つ人を知り、その人の音楽講座を聞いてしまった途端、自分の住む水がどこにあるのか 解ってしまった。まあ 無理もない、タンゴ歴の何倍? 2歳から身をおいていた水なのだ。しかも その人は事も無げに「両方やればいいじゃん」と仰った。私がいかに不器用な人間か、またしても気づくことになった瞬間だった。

こんなにも不器用でありながら、いや 不器用だからこそ、バイオリンしか弾けない人間にだけは なりたくなくて、好奇心の赴くまま いろんなことに手を出してきた。
今現在、細々でも続けている副業は 決して経済的な支えにはならないが、全てが演奏活動に反映されていることは事実、そこでしか知り得ない たくさんのことが、 狭すぎる視野を広げ、パフォーマンスに深みと彩りを与えてくれていることは 間違いない。

というわけで、今週末には タンゴデュオライブがあります。
世の中が ちょっとは落ち着きを見せ、ライブ活動も 定期的にやれるかな?と思っているところに この暑さです。
お越し下さる皆様、どうぞ 充分にお気をつけて、ご無理のないように お出かけください!















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雑記


ご無沙汰です!
色々 ありましたが 生きてます。(笑)
まあ、それほどのことがあったわけでもなく、ただサボってただけですが。

写真の花は スカビオサ、花の中心から葉が出ているという あまり見ない形態で、なんか元気をもらえる。
今朝も 朝食に、窓辺で栽培しているクレソン(食べ残しを水に浸けただけ)を摘んで サラダに入れながら、生きている命をいただくことに 有り難く尊い気持ちになった。
何事も 受け取り方、感じ方、考え方で 様々な方向に繋がって行くわけだが、どうせ一度しかない人生、限りある命を生きるならば 良い方向を目指したい。
受け取り方といえば、音楽も その時の気持ち、環境などで 全く違う印象になることがある。音楽を仕事にしていると、職業病的に 偏った聴き方をしてしまうことが多かったのだが、最近は 好きな音楽を 心から楽しめるようになってきた。視野が広がるのは 素晴らしいことです!
先頃 眼の状態が悪くて、手術をするにあたり 一時期 両眼がほとんど見えない という体験をした。夜中、若い男性介護士に手を引かれてトイレに行く老婆!(私[!?]︎)
一晩きりで本当に良かったです!
健康であると 見える、聞こえる、歩ける、食べられる、などを当たり前と思い つい感謝を忘れてしまうが、普通の生活が出来るって とても とても有り難いことなのだ、と実感。

さて、音楽家あるある をひとつ。一般的に、人は 音楽家の近くにいれば 毎日 素晴らしい演奏が聴けてラッキーだ 、と思うらしい。実はこれ、かなり耳にします。
で、実際はどうかと言うと、、、
昔、私がリサイタルをするので 当時 大学教授だった父が かなりたくさんのチケットを買ってくれたことがあった。コンサートの前の晩、父が私のところへ来て 心配そうに こう言った。
「おまえ、最初から最後まで、止まらずに弾けるんだろうね。」
笑い話ではなく、実話です。
音楽家の練習ほど 聞苦しいものは無い、と言っても過言ではない。
同じ箇所を何度も何度も、壊れたレコード(古っ!)のごとく繰り返し、行っては戻り、また戻り、意味不明な音の羅列を繰り返し、つまり 演奏会で聴くような 一曲を通しての練習など、ほとんどやらないのですよ。少なくとも 私はやらない。そして 私の周りの音楽家たちは 結婚しても 相手に練習は聞かせたことがない、と 口を揃えて言う。
音楽は 素晴らしいものですが、「音」 は時に暴力にすらなってしまう。音楽家は 防音室を必要とし、無ければ 消音器を付けたり、無音練習を試みたり。
これは 生徒さん達も同じですね!
せめて レッスンにいらした時には 思い切り音を出して欲しいです。

まずは 全てに感謝の気持ちを忘れず、聴くことも、弾くことも、大いに楽しみましょう!

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